[座談会/Interviews] 第2回 日本語ビジネスプレゼンテーションコンテスト

第2回日本語ビジネスプレゼンテーションコンテスト(2017年11月25日実施)の入賞者に集まっていただき、座談会を行いました。その記録です。

日時 : 2018年1月8日
場所: A to Z Language Centre

参加者: ヌルスハナ、ヘンリー、ハムディ、シュイン
A to Z: 西尾亜希子

座談会 ビジネスプレゼンコンテスト 2018/1/8
【日本語学習を始めた動機】
西尾:
この座談会はビジネスプレゼンコンテストをたくさんの人に知ってもらい、実際に参加された皆さんのお話をうかがうことで、これから参加を考える方へのメッセージとなることを期待しています。

では、まず日本語学習を始められた動機についてお尋ねしたいと思います。
 
ヌルスハナ:
高校の時から始めました。それは、私の高校は外国語については二つの言語から選ばなくてはいけませんでした。アラビア語と日本語のどちらかを選択することになるのですが、アラビア語は全然できなかったことと、日本語は誰も知らず競争も少ないと思い選んだんです。それからどんどんどんどん日本語が好きになってきて、盆踊りやそのような文化の集まりに参加することで、もっともっと好きになりました。

高校を卒業してから自然に日本に行きたいという気持ちになり、マラヤ大学に入って日本語予備教育コースに入り、奨学金をもらって名古屋工業大学に入りました。日本語が結構好きになり、日本へ行くことは自分で決めました。両親は、もうどんどん自分で好きにやってくださいという感じでした。

実は私のうちは家族がとても多く、お金は余裕がありませんでした。私の家は12人で、そのうち10名の子供が勉強するのでどんどんお金を使うことになります。日本に行くためには自分が一生懸命に勉強しなくてはいけない、とわかっていたんです。ですから学生時代からそういった責任感を感じて勉強を進めました。日本語を勉強する時は、やはり私はそういった家庭の事情も考えて進めないとダメかなと思いました 。
 
ヘンリー:
私は最初は別に日本語を勉強しようとは思っていなくて、ただ日本の音楽や漫画が好きで、たまたまドラマなどを見るようになりました。具体的なきっかけは、ちょうど高校卒業した頃に私の兄が日本にさきに留学をし、その後就職をしていました。それで私が浪人してる姿を見て、ちょっと日本に来ないかと言われました。それでまあ一年間は行ってもいいんじゃないかなと思って、軽い気持ちで日本へ行きました。

一年の日本語コースを修了後、継続してもう一年コースを取ったことで、せっかくだから大学へ行こうかと思って大学に入りました。その後はせっかく日本で勉強したんだから仕事もやってみたら、と思って就職しました。ですから、そんなに真剣な気持ちや勉強したいということで行ったわけではありませんでした。
西尾:
お兄さんはご自身の意思で日本に行かれたんですか。
ヘンリー:
そうですね。私は私立中学だったので、マレーシアの大学に入ろうと思いましたらなかなか難しかったんです。ですからその当時は、今と違うかどうかわからないんですが、特に中華系の人たちは海外の大学へ行くのが一般的でした。お兄さんはお金がなかったので借金をして留学をし、その後私はお兄さんに借金をして、いや投資してもらって行ったんです。お兄さんは、私が就職して一年経った頃にマレーシアに戻ってきました。

今フリーランスで日本の企業と多少の仕事上のかかわりがあります。テレビ局のTBSの仕事を受けたりしています。TBSの記者がマレーシアで取材をする時、様々なアレンジやコーディネートをします 。
 
ハムディ:
すごく”中二”くさいと思いますが、小学校3年の時校舎裏に脇差が見つかったんです。戦争の遺物かなと思ったのですが、いつもアニメなどでみると西洋などのものとはちがって珍しいと思い、調べました。日本に触れる最初のきっかけがそれでした。

また日本の歴史にも興味がありました。特に幕末が好きで、徳川家康とか、西南戦争とか、その時には先生からも”日本の辞典”などとあだ名をつけられていました。字も中国の文字と似ているが、なんか違うなと思ったり、中国語の漢字を借りて作ったひらがなやカタカナもあって、複雑に感じました。ただ日本語を勉強するにつれ日本史のことは忘れてしまって、今はもう何も覚えていません。あの時はすごくはまって、やめられませんでした。
西尾:
そういうきっかけは初めて聞きました。
ハムディ:
西郷隆盛とか山形有朋とか、今でも名前を少しおぼえています。でもいまテストを受けたら赤点だと思います。そのあとアニメやドラマ、ラジオをきき始めました。そのころはネットラジオがマイブームとなっていて、ラジオで聞いた言葉は自分が勉強した言葉と違う、可能形や受身形もある、形が変わることによって意味も変わることがわかりました。

自分でも調べてみたがだめだめで、高校2,3年生の時、高校のカウンセラーに相談したら日本に行かないかと言われ、それに関係するプログラムなども紹介してもらいました。そのあとは皆さんと同じで、大学に入ってから専門的に勉強するようになりました。
 
シュイン
シュイン:
私は高校から日本のドラマやJポップが好きだったので、いつか日本を目指したいと思っていました。最初はドラマをみてセリフを暗記するなどの自学自習をしていましたが、大学に入ってから本格的に授業を受け、勉強をしはじめました。
西尾:
マレーシアの大学で日本語を勉強したんですか。
シュイン:
マラヤ大学で日本語を選択科目にしました。2年生の時一年間交換留学をし、マラヤ大学を卒業してから日本で奨学金をいただいて留学をしました。
西尾:
すごいですね。留学は大学院ですか。
シュイン:
日本の大学です。二つのディプロマ(学位)をもっています。
【仕事での日本語の使用頻度】
西尾:
次にうかがいたいものは、日本語を仕事で使っていますか。皆さんの日本語力は仕事で生かされていますか。
 
ヌルスハナ:
毎日使っています。翻訳、通訳とかいろいろあります。私は本来の自分の仕事もあるのですが。日本人は英語については学んでいるのですが、英語でのコミュニケーションは完全ではありません。しかし日本語で話すほうが話は早いですから、英語で通じない時は翻訳・通訳としてよばれます。大変は大変ですが仕事ですから。私のチームはローカルメンバーばかりで、日本語ができるのは私だけです。ですから各自がコミュニケーションをとるために、簡単な英語を書いてグーグルトランスレーションをしています。

最近はグーグルトランスレーターもよ良くなっています。それでローカルメンバーは自然にメールを打てるようになっています。私がいない時でも、写真をとって、「これで送ってもいいですか」などと聞いてきます。私もどんどん自分で打ってというようにしています。そうしないと、私がいつもそこにいないといけないからです。メンバーがグーグルトランスレーションを使って、仕事がやりやすくなりました。それでもコミュニケーションのために、あっちこっちに気を使っているのは変わらないんですけどね。
西尾:
もともとの仕事は通訳や翻訳ではなく、それでも日本語の仕事が入ってくる。大変ですね。
ヘンリー、ハムディ:
全く同感です。
 
ハムディ
ハムディ:
数人しか日本語がわからない人がいれば、自然に橋渡し役になっていきます。日本の上層部にも冗談で言われたこともある。マレーシアで日本語が使えるマレーシア人に対して、日本人はひどいなと言う。「え?どうして?」と聞くと、「ビール」みたいに扱うと。「とりあえずビール」という言葉の様に「とりあえず伝えてね」のような扱いという意味です。

ひとつだけ残念というほどでもありませんが、職場にいると日本語は仕事で使う言葉だけになります。普通の会話はありません。食事会とか飲み会の時は、もうさすがにみんな社会人なので、普通の世間話などの会話などできなくて、正直自分の日本語能力はどうかというと学生時代よりかなり下がっていると思います。職場で使う専門用語は問題ありませんが、日常会話ではとまどう。頭に浮かんだアイディアをどう言葉にするか、ということが難しいです。
西尾:
なるほど。大学の時に友達と話していたような日常会話をする機会がない、ということですね。
ハムディ:
機会がないというか、機会を作るのが自分なりの努力がないとだめというのが私の意識です。さすがに時間も相手もなく、上司も日本語を使っていいといわれていますが、邪魔になったら悪いと思ったり、「今朝何を食べた?」っていうのは聞きにくかったです。
ヌルスハナ:
みんな関西弁が多いんです。私は関西弁が全然できないんです。もう全然関西弁ができないので少しずつ勉強したんです。それが大変でした。
西尾:
関西弁になっていますよ。
ヌルスハナ:
それはもう一生懸命勉強したからですよ。
 
西尾:
ヘンリーさんはどうですか。
ヘンリー:
うちはちょっと違います。うちは営業部門なので、日本人の上司がいるので日本語を使うことになります。私一人でなく他に2,3人いるので、日本語がわからない人の間の橋になるのは当たり前です。それほど硬くないです。

仕事の時間は敬語を使いますが、5時半を過ぎたら打ち解けた言葉になります。上司はわたしより年下で、結構友達のような関係になっています。お酒を飲むときなどは敬語より、普通の言葉で話しています。営業は技術的なものは少ないので、逆に意思を伝えるのが難しいですね。日本人の意思、考え方、「なぜこうしなければいけないのか」ということなどです。
ハムディ:
日本人にとって当たり前のことでも、マレーシア人に「こうしなくちゃいけない」と伝えると「えー、やだー」といわれることもあります。例えばうちでは「指さし確認」を伝える時、「なんでそんなことしなきゃいけないの」「つかれる」と言われることもあります。やはり考え方、文化を伝えることがキモだと思います。言語的な分野だけでなく、文化を伝えることが必要になります。指さし確認も、例えば金型に何かが挟まると故障の原因になります。金型は安いものではないので、上司に「絶対やってくれ」と言われた時どうしようと思いました。
ヌルスハナ:
たとえば日本人は「行きまーす」「なにかしまーす」など言葉で確認することがありますが、マレーシア人は言いません。心で通じるから。
ハムディ:
逆にやるとマレーシアでは笑われるかもしれません。日本の文化をばかにしているわけではありませんし、むしろ立派なものだと思います。でもそれを紹介すると笑いになったりして落ち込むことがあります。
ヘンリー:
うちはあまりそういうことはありません。むしろそういうことが好きかもしれません。難しいのは逆で、欠品などが生じた場合、日本人上司からどうしてそういうことが起きるのかと問われると、「マレーシアだからしょうがないんですよ」と答えざるを得ないこともあります。こちらの習慣ではお茶をしながら関係をつくることもありますが、日本人から見ると時間の無駄の様に思えるかもしれません。それらをわかってもらうことの方が難しいと思います。
西尾:
ヘンリーさんは日本人にマレーシアをわかってもらうことのほうがウエイトが高いのですか。
ヘンリー:
いや両方あります。でも日本人にわかってもらう方が容易かもしれません。壁にぶつかってもそのこと自体を理解してくれます。難しいのは4,5年ごとに人が変わります。そのたびにゼロから始めなくてはいけないのが大変です。
 
西尾:
シュインさんはどうですか。
シュイン:
ちょっとヘンリーさんと似ていますが、それほどでもないです。あまり堅苦しくなく、上司とも敬語など使う機会はありません。メールなどはビジネスメールとして敬語は使いますが。上司が知りたい情報と現地の新聞の内容を日本語に訳しています。
ヘンリー:
訳せないこともありませんか。
シュイン:
たまにあります。
ヘンリー:
訳すことは難しいんです。逆のバージョンで日本語をローカルの人に説明するとき、言い方がないから訳せないこともあります。たとえば「いただきます」など。
一同:
なるほど。
ヘンリー:
ですから訳すと「食べるよ」ということになります。そうするとローカルの人には「これを言わなきゃいけないんですか」と聞かれます。まあ、ちゃんと説明しようとすると長くなります。逆にこっちでよく使う言葉などを聞かれた場合、「ちょっと訳せないから、後で」などと答える場合があります。
シュイン:
ことわざなどが難しいです。
一同:
(同意のため息)
ヌルスハナ:
たとえば「亀の甲より年の功」。私はマレーシアの人に一生懸命説明したんですが、返ってきたのは「なぜ亀、どうして亀なの」と。私はことわざだからいいんじゃないと答えました。
ハムディ:
マレーシアにもことわざがないわけではないですが、日常会話ではあまり使わないですね。ローカルのメンバーにも少しずつ日本語が伝わるように日本語の「名詞」を伝えています。たとえばマテリアルを「材料」というように。結構英語とマレー語と日本語がミックスしていますが。なんとなく伝わっているような気がします。

 
西尾:
シュインさんはどこの大学を出たんですか。
シュイン:
立教大学です。
西尾:
大学での専攻は?
シュイン:
観光です。
西尾:
マラヤ大学での専攻も観光だったんですか。
シュイン:
いえ、マラヤ大学では東アジア研究でした。その中で日本語を選択科目として研究していました。それから3年生から編入という形で立教大学へ行きました。
西尾:
すばらしいですね。まず中華系でマラヤ大学に入るというのも難しいと思いますが、そこから奨学金をもらって日本に留学するというのはすごいですね。
シュイン:
そんなことないんですが・・・日本に行くのは夢でしたし、日本のことを本当に知りたかったので・・・。私の場合、バスに乗っているときも日本語の勉強をするなど、すごく好きだったんです。
西尾:
行く前はすごく好きという気持ちが強かったということですが、反対に日本にいってがっかりしたことなどはありますか。大変だったこととか。
シュイン:
がっかりということはないんですが、やっぱり就職活動は大変でした。あれはしんどかったです。
西尾:
ピアノを売るという仕事を見つけたわけで・・・
シュイン:
あの時ちょうど震災があって・・・。観光業で探していたのですが、なかなか仕事が見つかりませんでした。
 
西尾:
そうですね、あの時は観光客が一気に減りましたからね。ヘンリーさんはどこの大学だったんですか。
ヘンリー:
兵庫県立大学です。
西尾:
日本語学校も関西ですか。
ヘンリー:
関西学友会、日本語センターみたいな。もともと兄が大阪の上本町の近くにいたので。
シュイン:
あ、旅行で行ったことあります(笑)。
ヘンリー:
それから近畿大学で1年間日本語コースをとりました。そのまま近畿大学に入るということも考えたのですが、やっぱり学費が高くて。兄からも自分でお金を払えと言われていましたし。ちょうどその時、兄の友達が兵庫県立大学、昔の神戸商科大学なんですが、そこで教授をやっていて、そこに行ってみたら?と。経営学部を選んだのですが、目的とずれている。もともと建築を学びたかったので。でもかかるお金が違うから、仕方なく考え方を変えました。建築士にならなくても、経営を学んで建築会社を持てばいいじゃないか、と。それで経営学部に入りました。
西尾:
へえ、じゃ今の夢も、建築会社を・・・?
ヘンリー:
いえ、全然ないです。今は全然違いますね。やっぱり時代が変わるうちに、いろいろ見て、別に会社を持たなくてもいろいろやれるな、と。会社にこだわることもないかな、と。入って思ったことが、自分は数学が弱いこと。高校時代は理数系だったのですが、どちらかというと数学はダメでした。

当時の学部長が兄の大学院時代の教授だったこと、また大学に入学できた理由も英語の点数がよかったからなんとか入れたのですが、友だちを作るということをしませんでした。どうしてもバイトが忙しかったんです。私費留学なので・・・その時に留学生向けの奨学金がもらえました。ギャッツビーさんの。
西尾:
卒業後ギャッツビーで働かなければならないという条件などは?
ヘンリー:
そういう条件はなかったのですが、唯一の条件が大阪に住んでいないと応募できないということ。それで、兄に言って、友だちの住所を借りました(笑)。その時神戸に住んでいたから身分証明書も神戸の住所だったんですが、一日だけわざわざ大阪に行って、友だちの住所に変更させてもらって、奨学金の申し込みをしました。合格の通知をもらった翌日にまた神戸に戻しました。
西尾:
それはかしこいですね。4年間もらったんですか。
ヘンリー:
2年間です。でも月に12万円もらえていたので大きかったです。工場見学もいかせてもらって、ギャッツビーの試供品をたくさんもらって帰ってきました。女性用も男性用も・・・ギャッツビーはブランド名で、会社の名前はマンダムなんですけど。
皆:
それは知らなかったです。
ヘンリー:
それで、工場に行ってはじめて、「あ、このブランド、私もよく買ってるものだ」と、ギャッツビーを作っているのがマンダムだったのだと知りました。
西尾:
条件である大阪に住んでいないのに申請をしたということなのですが、ばれなかったんですね。
ヘンリー:
その頃はあまり厳しくなかったのかもしれません。まあ、市役所には問い合わせがあったかもしれませんが、住民票は大阪にちゃんと入れてましたし。ま、ばれなくてよかったです。
シュイン:
それ、ここで言う?
ヘンリー:
もう時効ですよね。留学生のひとつの手段ですよね、裏技、というか。大学では、まったく友だちがいないわけではなかったですが、正直そのときの大学生って、講義に100人出席していたって半分以上は聞いてない。先生から見えるところでも堂々と寝てる。よく寝られるなぁと思いながら見てました。コンビニのアルバイト先でできた友だちはいました。

仕事を見つけたのは、近畿大学2年目の時に、兄にそろそろバイトをしろと言われて。通りがかったファミリーマートに募集の紙が貼ってあって、そこに入って片言でバイトさせてほしいと頼んだんです。ちょうど店長がいて、お話を聞いてもらって、「いつ引越ししてくるの?」「来週です。」「じゃ、再来週から入って」、ということで決まりました。そこで知り合ったほかの大学の学生と友達になりました。そのバイト先ではよく日本人と間違えられました。

難しい日本語で話しかけられて、「すみません、外国人なんですけど」というと、「ええ、そうなん?」とびっくりされる、と。そこから、徐々にしゃべれるようになりました。それまでは頭ではわかっていても、口から出てこなかったので・・・。
シュイン:
自分の学費を自分で作っていたというのは、頭が下がります。なんか、奨学金もらって留学してた自分が恥ずかしくなるような。
ヘンリー:
いえいえ。そんなことないですが。
西尾:
3人はアルバイトをしていたんですか。
ヌルスハナ:
いろいろやってました。例えば郵便局で年賀状を仕分けするバイトとか。友達と一緒にやっていたのでおもしろかったです。あとは、英語の家庭教師とか。バイト代は安かったですが、日本の普通の家庭ってどんな感じか、中に入って見てみたかったので引き受けました。

でも結局4年間ほとんど勉強は進まず、ABCABCを何度も繰り返してやってて。心配になってお母さんに「こんな進み方で本当にいいんですか?」と聞いたのですが、「いいのいいの、英語がぺらぺらになってほしいわけじゃなくて、子どものうちから外国の方と触れ合うことで、将来外国の人を見たときに怖いって思う気持ちをおこさせないようにするのが目的だから」と言われて。それはおもしろい経験でした。
 
西尾:
シュインさんは?
シュイン:
カフェと、中国語の教師をしていました。それからホテルでインターンシップもしました。
 
西尾:
ハムディさんは?
ハムディ:
日本に行く前から、先輩たちに「したほうがいい」と言われていたのでするつもりでした。が、1ヶ月生活してみて、田舎だしお金を使うところもないし・・・しなくても生活できるんじゃないか?と。その代わり、バイトではなくてボランティア活動をしていました。先生から「困った時には市役所にいけ」と言われていたんですけど、そのアドバイスにしたがって市役所に行って、市長さんと仲良くなったんです。

そこから、大学生の代表として、消防署とか郵便局とかに出向き、そこで聞いた話を市役所側の立場として、市に住む外国人に英語で伝えるというボランティアをしていました。もともとそういう仕事がしたいと思っていたんですよ。そのほか、小学校でチューターとして、英語や数学を教えるということもしていました。それもアルバイトではなくて、ボランティアという形でやっていました。
ヌルスハナ:
みんなはそういうチャンスが多かったんですね。私は女性で、スカーフをかぶっています。それに慣れていない日本の人達からの「何かぶってるの?」「どうしてそんな格好をしているの?」という質問に、毎回答えなければならない。「暑いでしょう?」とか。見るからに外国人という格好だから、これで日本語をしゃべるとみんなにびっくりされるんですけど、やはり皆さんと比べると最初の壁は大きいような気がします。
ヘンリー:
逆に僕は日本人と思われて日本人と同じレベルの日本語を要求されるので困りましたけどね。「僕、外国人なんですよ」というと、「えええ??」とびっくりされる。笑。
ハムディ:
日本に行く前に先生からアドバイスされたことがあります。日本人から聞かれた日本語がわからなくて、質問に答えられないとき、こうやったらいいんだよ。「スー」って。(「さあ?」のような、独特の発音で逃げる)正当な日本語ではないですが、絶対に間違いのない答えですって。
【日本語維持の為にしていること】
西尾:
では、次の質問です。皆さんは、身につけた日本語力を維持するために、何か努力していることや、意識していること、気をつけていることはありますか。日本にいるときと比べてマレーシアにいると日本語を使う機会は減ると思うのですが、いかがでしょうか。
 
ヌルスハナ
ヌルスハナ:
私はちょっと逆だったかもしれません。私、学生時代とてもまじめで。特に、名古屋にいた時は、奨学金をもらったという責任感を強く感じていて、とにかく勉強だけを一生懸命がんばっていました。なので、教科書に出てくる言葉を理解することはできましたが、それを会話という形で使う機会があまりなかった。

それがマレーシアに戻ってパナソニックに入ってから、とにかく日本語を使わないといけなくなりました。実は英語に関しても同じで、昔は英語を話すことがとても苦手でした。でも会社に入ってから、メールや会話で英語も日本語も強制的に使わなければならない場面が増えて、そのおかげで上達したように思います。

特に、パナソニックに入ったときは技術設計関係の専門用語を使うことが多かったですが、トリセツ担当になってからは、お客様にもわかりやすい言葉を使わなければならないということで、更に使う言葉の幅は広がりました。

だから、今は、日本語が使えるという意味でも仕事はとても楽しいです。
 
ヘンリー:
私も特に意識はしてないです。会社でも日常的に日本語は使っていますし。ま、忘れてしまった言葉もあるので、日本語力が多少落ちたといえば落ちましたが、もともと私にとって言葉というのはしゃべり言葉が原点なので、しゃべれれば大丈夫、と思っています。 あとは、何かを調べるときに、英語で調べるよりも日本語で調べたほうがわかりやすいということはありますね。
皆:(同意の笑)
ヘンリー:
それから、兄も日本語がわかるので、たまに兄と日本語で話したりはしています。あと、子どもに日本語の子供の歌を教えたりとか。
西尾:
将来子供に日本留学をさせたいと考えたりしていますか?
ヘンリー:
本人の意思に任せます。日本語の歌を聞かせてるうちに、自然にいくつかの言葉は覚えているようですね。発音とかはとてもいいですよ。
 
ハムディ:
やっぱり職場では自分の仕事に関する言葉はよく使うので、それに関しては問題ないのですが、日常生活で使われる言葉については、やはり日本語環境にないですし、使う機会はずっと減りますよね。私は子どものころから、独り言の多い子どもだったのですが、今は自然に、独り言が日本語になることが結構あります。落ち着けとか、困ったとか。笑。

それがもしかしたら、日本語の維持に役立っているのかもしれません。意識してやっていることといえば、できるだけ日本語を使う機会を作ることです。そして、それを特に好きなことに絡めるようにしています。

実は私の趣味のひとつが、プラモデルなんですが、プラモデルの説明書や手順書、英語のものがあったとしても自分は日本語のほうを読みます。日本語維持のためという意味もありますが、もしかしたら自分の英語能力が落ちてるから、かもしれないですけど・・・。(笑) 英語の説明書を読んで意味がよくわからない時に、日本語版を読むとよくわかる、ということがあります。
ヘンリー:
よくある。(笑)
ハムディ:
それから、日本に行く前に先生がしてくれたアドバイスのひとつが、特撮を見ること。ストーリーがあり子ども向けなので、言葉がそれほど難しくなくて日常会話が学べる。その台詞を口に出してまねしたり、歌を覚えたりするのは、とてもいい勉強になります。授業中にもそれを使った練習もしました。例えば1シーンをプロジェクターを使ってみんなで見て、その台詞を練習します。

練習した後で音を消しながら動画を見て、アテレコのようにしゃべる練習をする、というものです。それはとても難しかったですが、楽しくてはまってしまって。それは今でも趣味としてやってます。
 
シュイン:
仕事については上司と話したりしますし、あとは日本語が話せる人と積極的に話すようにしています。あと、自分は日本のドラマや音楽がとても好きだから、今でも毎日見たり聞いたりしています。

ヌルスハナ:
聞くことと話すことは今のところ問題ないですが、やっぱり書くこととなると、どんどん力が落ちているのを感じます。漢字がすぐに出てこなくて、ついついひらがなやカタカナで書いてしまう。

特に今の時代、メールにしてもパソコンを打てばすぐに出てくるから。書く力が落ちてしまっているのは本当に残念なんだけど、でももう今はそういう時代になってしまっているから・・・。
西尾:
いや、それは日本人でもそうですよ。私も漢字が出てこないことよくあります。
ヌルスハナ:
あと、字が汚くなって、自分の字が読めないこともあります。(笑)
ヘンリー:
私はメモなども日本語で書いてますよ。
西尾:
漢字、ちゃんと出てきます?
ヘンリー:
幸い、ある程度は、まだ・・・。(笑)
シュイン:
ょっと話がずれてすみません。日本語を勉強しはじめたときに思ったのが、カタカナが非常に難しい、ということでした。紛らわしいですよね。例えば最初にマリリンモンローって見たとき、マソソソモソローって思いました。
西尾:
あ~、リとソとン、似てますよね。
シュイン:
カタカナに慣れるのに、とても時間がかかりました。
ヘンリー:
私たち英語がわかるので、カタカナ英語を見たとき、「こんな発音でしたっけ?」って笑ってしまいます。
ヌルスハナ:
実際の文の中では、ひらがなってそれほど多くないですよね。漢字が多くて。専門用語となると、カタカナも増えてきますが。だから、ひらがなだけわかっても、文章は読めないんですよね。
ヘンリー:
私は漢字はある程度知ってたのでよかったですが、カタカナに悩まされました。
シュイン:
あと、長音、どこを伸ばすか、も難しいですよね。小さいツが入るか、入らないか、とか。
ヘンリー:
例えば、schedule 日本語では、スケジュール?スケージュル?
シュイン:
そうそう。パソコンでタイプしてても、当たらないと変換されないですよね。あれ、なかなかあたらないですよ。(笑)
ヘンリー:
分ではスケジュールって打ってるつもりなんだけど、間違ってるのかカタカナ変換されないで変な漢字が出てくる。あの、伸ばす棒を入れる位置、ですね。
西尾:
うちの生徒もみんな、同じこと言ってます。カタカナは難しいって。
【コンテスト準備期間及び出場に至ったきっかけ】
ヘンリー
ヘンリー:
実は2日前に言われたんです。「ヘンリー、こういうコンテストがあるんだけれど出てほしいんだ」「締め切り何時ですか?」「明後日なんですけど・・・」「えっ!・・・はい、わかりました」(笑)。 それから、家に帰って原稿を書いて、子供がいるから全部終わらせて、寝る前の2時間くらいにこんな風に書いたらいいのかな、と考えました。

翌日会社へ行って、朝仕事を終わらせて、そのあとずっと4時間書いていました。そして締め切りになったんですけど、上司も会議でいなくて、直してもらったほうがいいかな、と思い、その翌日に多少変えてもらいました。それから、書類審査の朝にぎりぎりで送ってもらいました。
西尾:
すみません、キューピーさんにスポンサーになっていただいていて、来てくれた人達に渡すおみやげの話をしていた時に、キューピーさんが「あ、このコンテスト面白いね。うちにも日本語話す人がいるから出してもらいたいな。ちょっと声かけてみます」ということになったんです。

でも参加してもらえて、本当に良かったです。有り難うございました。練習はどのようにされたんですか?
ヘンリー:
練習は全然なしです。基本的に仕事が忙しくて、本当に前日の夜に全体や言い方をパーッとチェックしました。そしてその紙を本番に持っていこうと思っていたんですけれど、子供の事とかで忘れていて・・・。だからメールで自分のスマートフォンに送っておきました。本番で画面が消えて、ドキドキしながら、「あ、消えちゃった・・・」。(笑)
西尾:
全然そんな風に見えませんでした。しっかり練習してあるのかと思ったら・・・。
ヘンリー:
消えたタイミングが、自分で書いたところを覚えていたから・・・。びっくりしました。冷や汗が出ました。
 
西尾:
ハムディ:
練習といった練習は・・・。毎日合間に音読したりですね。とりあえず、原稿が出来上がる段階で、まずは仕事に関することがテーマでしたので、皆に考えてもらえるトピックにしたかったですね。そして自分が納得できる内容になるまで書き直しました。暗記しなくても、大体のイメージが自分の頭の中にあるから、自分の言葉で話そう、と思いました。

私が当日のコンテストで話したのは、一字一句原稿と同じか、実はチェックしていなかったので、本当に合っているかどうかわからないですよ。でもそれが、自然に出た言葉でした。
西尾:
でもすごいですね。プレゼンの間、資料も何も使わないで。
ハムディ:
一つだけ練習といえるのは、コンテストの2日前に社長さんの前で発表したことです。そうしたら、「うん、流れはいいな。でももうちょっと早口を避けて・・・。」と言われました。結局早口になってしまったんですけれど・・・。それだけが練習ですね。音読が「肝(きも)」だと思います。
 
シュイン:
私は原稿は2週間ほど、時間をかけて作りました。その後一次予選の通過の知らせがあって、それからプレゼンの練習を一生懸命やりましたね。
西尾:
一人でですか?
シュイン:
はい。あと少し日本人の友達に訊いたり・・・。会社の人には何も言わずに参加しました。
西尾:
西川さんもびっくりしてましたね!
シュイン:
ふふふ。
 
西尾:
3人は上司の方から「出て」という形だったと思うんですけれど。
シュイン:
私も栗原さんから聞いたんですね。大使館のフェイスブックにあげられていたので、あ、私も参加しようかなと思って。
 
西尾:
そういうことだったんですね。では、プレゼンが終わって、入賞されてからの会社の反応はどんな感じでしたか?
 
ヌルスハナ:
反応は二つ。日本人メンバーは皆、社長も「わーすごい!」「おめでとうございます!」と言ってくれました。でもローカルメンバーは、「え、それは何の大会?」と、全然知らないんですよ!皆、日本語分かりませんからね。私がパナソニックのジョホールに行っても、取説の日本人担当者はニュースとか新聞とかで知っているんですよ。ローカルメンバーは全然知らないから、「え、スーちゃん、日本語出来るの?」(笑)。私もあまりしゃべらないタイプだし、ずっと仕事だったから、皆知らなくて。このコンテスト自体、メールポスターとかが全然ないんですよ、だから皆知らない。それはちょっと悔しいところだと思います。
西尾:
そうですね。来年からはマレーシアの新聞社とかにも来てもらって、取材してもらったほうがいいかなと思いました。
ヌルスハナ:
コンテストを募集するときに、大きいポスターとかないとだめですね。そしてローカルメンバー(例えば人事)にも知らせないとだめだと思います。私は去年参加したから直接メールが来たけれど、会社は何も知らなったんです。それは良くないですね。でもさすがに日本人メンバーは知っていました。
西尾:
去年も同じ会社の方が3位になられて、その時に会社の中で表彰されたと聞きました。
ヌルスハナ:
そうですね、たくさん大会があるから忘れちゃうんですよ。こういう(ビジネスコンテストのような)大会を。みんな知らないんです。
西尾:
もう表彰されたんですか?
ヌルスハナ:
まだです。今週の金曜日です。でも皆多分、「ん?何の大会?あ、おめでとう!」と言うけれど、知らないと思います。でも日本人メンバーは一位だから、「わあ、おめでとう!」。でもローカルメンバーは「あぁ、日本語出来るね!おめでとう!」それだけ。多分ね。
 
西尾:
ヘンリーさんは何か?会社の方いらしてましたもんね。
へンリー:
はい。ま、普通に「良かったね」。それで「賞金何だった?」と聞かれました。「寿司織部1000リンギット分です。」と答えたら、「え、そんなにもらったんですか!いいところ連れてってよ!」そのあとも皆に「行った?行った?」と一週間くらい聞かれました。
西尾:日本人の間では寿司織部は高いことで有名なんです。
へンリー:
社長も行ったことがないそうです。
 
西尾:
だから「今回2位の賞金は寿司織部1000リンギット分です。」という話をすると、日本人が「俺も出ようかな」というんですよ。 ハムディーさんは 何かありますか。
ハムディ:
合格です という通知が来た後、手伝ってくれた同僚と「この内容だと 1位は狙えないのでは・・・? 仕事に関する内容だけれどちょっとライトすぎるかな・・・」。 ローカルメンバーには公開しなかったですよ。ただ、日本人の間ではメールマガジンのようなものがあって、どうしてもうちの社長がそれに載せたかったようで、結局載せました。日本人がそれを見て「おめでとう、おめでとう」と言ってくれました。嬉しかったですね。

その後も、やっぱりローカルメンバーに知らせようか、それとももう過ぎた話なので止めようか・・・。知っている人は「3位 すごいよ」。でも、自分の意思として、優勝だったら教えたいけれど、3位だったから・・・。
 
西尾:
そうだったんですね。 ではシュインさんはいかがですか。
シュイン:
そうですね。発表した内容が今の仕事とかぶっていないので・・・ただちょっと最初の内容は上司にチェックしてもらおうと思ったんですけれども、やっぱりちょっと出来なかったので 自分なりに頑張りました。3位をとってからは、西川さんにも他の上司にも「おめでとうございます。よく頑張りましたね。」と言われました。
 
ヌルスハナ:
会社の人や、お母さん、自分の夫や大親友など来ていました。全然日本語ができないけれどいたんですよ。でもスピーチをマレー語とか中国語で翻訳したら分からないんですよ、面白さが 。
ヘンリー:
残念やなあ。
西尾:
あのコンテストの中で、他の発表者の話を聞いてこの人のは心に残っているなとか 他の発表者について覚えていることはありますか。
ヌルスハナ:
ヘンリーさんです。キユーピーは有名だけど、マレーシアにキューピーがあるなんて知らなかったんです。
ハムディ:
ヌルスハナさんとヘンリーさんです。自分の身近にあるものを題材にしてスピーチをしていたからです。トリセツとか キューピーとか。どんなに内容が良くても、自分が共感できないと印象に残らないと思います。
シュイン:
ヌルスハナさんとヘンリーさんが私も印象に残りました。
ヘンリー:
ハムディさんのオーラです。ヌルスハナさんの面白い関西弁も印象に残りました。
【今後の応募者へのアドバイス】
西尾:
今後の応募者への アドバイスをお願いします。
 
ヌルスハナ:
自分の言いたいことを、印象に残るもので伝えることです。あとは自分が話しやすいこと。日本語能力が高くなくても大丈夫です。
 
ヘンリー:
大学教授のような日本語能力はいらないです。全部が初対面の人です。だから自分の色を出しながら、何かを人に伝えられれば大丈夫です。
 
ハムディ:
一言で言うと「つまづくことを恐れず」。マレーシア人がほとんどです。だから間違った日本語を使っても大丈夫です。とにかく話してみる。そして自分の意思を伝える!
 
シュイン:
準備が大変かもしれないですけど 自分を高める機会なので、このチャンスを逃さずチャレンジしてほしいと思います。
【今回のコンテストの改善点】
西尾:
では皆さん、このビジコンの改善点はありますか?今後も3回4回と続けていきたいので・・・。
 
ヌルスハナ:
会場に入ったら 順番が勝手に決められてしまいました。それは本当に嫌でした。平等なチャンスで 順番を決めてほしい。例えば ボーディングシステムなど。
西尾:
書類を出してもらった段階で、今度は希望の時間を書いてもらうといいかもしれないですね。
ヌルスハナ:
そしてタイムキーパーが 見えませんでした 。
西尾:
そうですよね 。 音が聞こえるものにしないと。
 
ハムディ:
タイムキーパー 確かに見えませんでした。自分の前の人も、その前の人もたくさん時間がオーバーしていたので、いいのかな、と思いました。時間の印は明確でないと。
 
ヘンリー:
もう一人いて、出場者のスライドを準備してほしい。共有PC内から自分のスライドが探しにくかったです。あと食べ物も足りなかったし・・・。
 
シュイン:
私もそう思いました。
 
ヌルスハナ:
最後の集合写真が良くなかったと思います。順番がぐちゃぐちゃで。普通は優勝者が真ん中なのに・・・。それと、普通は審査員全員と入賞者4人という形でも一緒に写真を撮るのでは・・・?
 
ヘンリー:
来場者が日本人だけではなかったので、せめて「始めます」「休憩に入ります」くらいは英語でアナウンスを入れるべきだと思いました。
 
西尾:
有り難うございました。